daito's diary

猫のちゃあと趣味のこと。

写真を撮るということ

 ようこそ、daito's diaryへ
今年は写真にズッポリとハマっていましたので、ちょっと振り返ってみたいと思います。(沼にハマっているとも言いますが…)
 
カメラの楽しみ
 
カメラという道具を使う楽しみ
カメラを操作することが楽しい!
これが一番なんじゃないかと思われるフシがあります。
たくさんついてるボタンやダイヤルを操作する。
大多数のヤロー共がここにハマっているのではないでしょうか。
それから、ボディやレンズを買い揃えたくなりますよね。
今やオールドレンズも花盛り。
カタログと通帳のにらめっこ。
道具を持ち、使う喜び。
あー、しあわせ。
 
周辺機材やアクセサリーをいじることが楽しい
ストロボやらディフューザーやらフィルターなんかが欲しくなます。
ストラップやバッグなどキリがありません。
それぞれのものに「沼」が待ち構えています。
簡単には抜け出せない底なし沼です。
これを手に入れたら、クオリティが上がるかもという幻想に囚われてしまいます。
買ったら使いたくなるのは当然です。
持ってて楽しいコレクションではありません。
使ってなんぼです。
あれこれとセッティングして撮りまくります。
あー、しあわせ。
 
自分で行った撮影プロセスの結果検証が楽しい
絞りやらシャッタースピードやらいじくり倒して、どう写っているか検証することが楽しいことこの上ないのです。
そう、理科の実験に通じるものがありますね。
そういえば子供の頃、雑誌の付録で日光写真っていうのがありましたね。
印画紙にドラえもんとかの絵がネガになったものを重ねると写真みたいになるっていう…
あ、知りませんか。
そうですか。ジェネレーションギャップってやつですね。
 
撮影の楽しみ
 
記録することの楽しみ
真っ先に思い浮かぶのが、家族や友人との思い出の記録。
動画より写真のほうが思い出に浸れるという人も多いのではないでしょうか。
写真を囲んで、思い出話に花を咲かせるのは楽しいものですよね。
 
光と影、色彩などの美しいもの、興味深いもの、感動したものを記録しておきたい。
感動したことを誰かに伝えたいのです。
感動をシェアしたいのです。
そのために写真に残したいのです。
 
 カメラの操作と撮影に分けて書いてみましたが、切り離して考えることはできないと思います。
カメラの操作ができないと撮影はできません。
音楽を奏でるためには楽器の練習をしますよね。
それと同じように、カメラを身体の一部にして行きたいものです。
 
 「趣味は写真です」というからには「カメラ」を手に取り「撮る」という意思を持ってシャッターを切りたいのです。
では「撮る」という意思って何でしょう?
何を伝えたいのか、何を表現したいのかという事ではないでしょうか。
単なる「お花の写真」「ペットの写真」というのではなく、美しさの中にある毒々しさや、秘められた力強さが伝わるものなのかもしれません。
 今はまだ写真を撮る行為そのものが楽しく、何かを表現する域には達していません。
自分が感動した光景を切り取ることもままならない、ましてや他人に感動を伝えることなど遠い道のりのように感じます。
もしかすると、そこにずっと留まったままでいるのかも知れません。
でも、途中で休むことはあっても、写真を撮ることは恐らく止めることはないでしょう。
 
 スマホでも十分なクオリティで撮影できますが、あえてカメラという道具を使う意味を常々持っていたいのです。
やはり専用の道具使った創作物のクオリティというものは違います。
もちろんその道具に見合った腕前も磨かなくてはなりません。
そしてスマホで撮るときも、無造作にシャッターを切りたくはありません。
だって、「やっぱりあいつが撮る写真はスマホでも違うね」って言われたくありませんか?
え、そこ?
承認欲求というのはいくつになっても消えることはないのです。
ではでは。